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ちくわちゃん

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猫との生活を検討されている方へ

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環境省HP「動物の愛護と適切な管理」

飼い主の方やこれからペットを飼う方へ

梅雨どきのニャンズ

最近、蒸し暑い日が続いていますね。。グッタリ更新が滞っていましたが、
我が家のニャンズはこんな様子↓です。


あぢぃ...短毛でよかった...でもグッタリ


あづぃ〜エアコンつけろニャ〜!


新しいカメラを手に入れ、やっと元ノラのちくわちゃんを捉えやすくなりました!

??お天気コーナーに猫じゃらしが!?


アメリカン・カールのベティはいつも変わったポーズをしてマス

こんなのも(笑)



でも、最後はいつも、家宝は寝てマス


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4.平岩米吉氏と日本猫の保存

「その1」から3回に渡り日本猫の姿について整理してきましたが、平岩米吉氏は「猫の歴史と奇話」最終章で日本猫保存の窮状を訴えています。
明治維新の開国により欧米化が進む中で、犬に関してはすでに昭和3年に日本犬保存会が創立され、昭和6年以降には秋田犬など日本古来の犬が天然記念物に指定、昭和9年には平岩米吉氏と斎藤弘吉氏によってそのスタンダードが制定されました。
この本が出版されたのは1985年(昭和60年)ですが、当時すでに海外の純血猫の人気に押され、巷に放置された日本猫の危機的状況に警笛を鳴らし平岩米吉氏が日本猫のスタンダードを試案しました。
この定義をベースとして、1980年にフレンドリーキャットアソシエーションFCA)が設立され設立25年後には6,500名の会員がいるとのこと。
※ただし残念ながらFCAのサイトは現在閉鎖されており、状況についてコンタクト中です。

平岩米吉氏が考えた日本猫のスタンダード

氏の定義は以下のとおり。





体型 中型で雄雌の表示がはっきりしている。
*1
*2
被毛 やわらかな短毛。
丸みを持っていて張っている、いわゆる丸顔。*3
広い。
しっかりしていて噛み合わせが正しい。
口物 短くて突き出ていない。
鼻すじが通っていて、やや広い。ストップはゆるやか。
鋭くとがらず、多少丸味がある。
丸く、目尻少し上がる。目の色は自由。*4
四肢 しっかりしていて太い。趾(ポー)は丸型。*5
長、短、中の三形にわける。

長尾
頭胴の約二分の一以上。
短尾
頭胴の約五分の一以下。
中尾
長短の中間のもの。*6
毛色 単色と斑と縞に分け、これを、さらに次の八種に細分する。

単色
(1)白、(2)黒
(3)赤斑、(4)黒斑、(5)三毛
(6)虎、(7)雉、(8)雲形*7
啼声 澄んだ優美な声。*8
禀性 活発で、且つ従順。*9

CFAのスタンダード内容と比べれば、一般人でも理解しやすい平易な記述になっています。
CFAの定義は完全にブリーダー向けであり形状や比率などの「厳密な仕様」ですが、我々日本人は古来から愛がん動物に対し、狭義な仕様を設けて統制する風習はあまりない訳ですから、日本人向けの内容と言えるのではないでしょうか。
また、この定義を見ると、アメリカン・ショートヘアのスタンダードと共通点が多いと言えます。鼻や顎の定義は少し異なりますが、前回のゲノム解析の記事でも書いたように祖先のルーツが同じということを考えると、あながちアメリカン・ショートヘアの人気は一時の流行ではなく、代々日本人の心理に刻まれた愛猫の姿とマッチしていたのかもしれません。

ところでこの試案は、1970年(昭和47年)3月、ジャパン・キャッテリー・クラブ(JCC)主催のキャットショーで日本猫を審査した平岩米吉氏がその感想を「キャット・ニュース」誌に掲載したのが契機となり、翌年1971年3月発行のJCC会誌に掲載されたものです。
折しも1968年、3匹の日本猫が初めてアメリカに渡り、1971年にジャパニーズ・ボブテイルという名でCFAのスタンダードとなった時期と重なります。氏は著書の中でアメリカにおいてジャパニーズ・ボブテイルがスタンダードとなったことに触れており、再三にわたり、日本猫の歴史は大半が長尾とともにあったことを強調して述べています。
その背景には、屈曲した尾骨による日本猫の短尾は動物として自然体とは言いがたいという氏の動物学的見地と、日本人と猫の歴史を知り尽くした結果、短尾だけが日本猫ではないという忠告が内在しているように思えます。


今回の4回でこの章は終わりにするつもりでしたが、猫カフェなどで日本猫/外国種の猫を見比べていると日本猫特有の性格がよくわかります。次回は「猫の歴史と奇話」から離れ、日本猫の性格について少し整理をしたいと思います。


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*1:日本猫は外国種に比し、概観で雌雄がよく判るので、特にこの項目を入れた。

*2:体高〈肩〉体長の比はだいたい判っているが、優秀猫の測定を経て後日確定したい。

*3:顔の長さは、およそ胴の長さの四分ノ一ぐらいである。

*4:目の色は、ある程度、体系や顔だちの特徴が固定されるまで、当分自由としたい。

*5:従来の猫の標準にはだいがい後肢が前肢より長いと書いてあるが、当然のことであるから除いた。

*6:長尾に屈曲や隆起のあるのはやはり欠点である。
短尾はたいがい醜く屈曲している。これをどう見るかはこんごの課題であろう。野生種のボブキャット(アメリカ産)の短尾は殆ど屈曲がない。
中尾は好ましくない。

*7:「虎」は赤の横縞。「雉」は青褐色の横縞。「雲形」はいわゆるタビー型で、稀にある。なお、ストップ以外は「虎」「雉」等すべて、日本の固有名を用いた。「黒」には「烏猫(からすねこ)」の古名がある。

*8:啼声は従来の猫の標準にはないが、日本猫の美点なので、一項目とした。

*9:「活発」を粗野な荒々しさと誤ってはならない。「従順」はいうまでもなく、あらゆる家畜に要求される要素である。

振袖火事と動物供養の両国「回向院」

1657年3月2日(明暦3年1月18日)、本郷の妙心寺周辺、小石川、麹町で立て続けに火事が発生し、不幸にも吹き荒れていた強風により江戸中が火の海となり、江戸2/3を焼き尽くす大惨事となりました。「明暦の大火」と呼ばれるこの火災原因は放火等諸説ありますが、亡くなった娘の供養のため妙心寺にて火中に投じた振り袖が舞い上がり、寺から街へ広がったという「振袖火事」の悦話が有名です。
火の粉は広大な江戸城にも降り懸かり天守閣を焼くなどし、江戸中の火災は3日間続き死者は10万8,000人にのぼりました。
江戸城天守閣跡

街中に野積みされていた身元不明の亡骸は、徳川家綱の命により隅田川沿いの地に大穴を掘り埋葬され、その地は万人塚と呼ばれます。
その塚の上に建てられた寺が、現在も両国のビル街の中に佇む回向院(えこういん)です。のちの大火や安政の大地震1855年11月11日)の身元不明者もここに眠っており、境内には多数の供養塔がひしめいています。

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ペットフードに関する法案が可決

ペットフード法制化に関する前回の記事で書きました、内閣からの法案「愛がん動物用飼料の安全性の確保に関する法律」について、6/11参議院にて満場一致で可決し、法案が通りました。

目的と概要については、

  • 愛がん動物用飼料の製造の方法等についての基準及び成分についての規格を設定しその基準又は規格に合わないものの製造等の禁止
  • 有害な物質を含む愛がん動物用飼料の製造等の禁止
  • 有害な物質を含む愛がん動物用飼料等の廃棄等の命令
  • 製造業者等の届出及び帳簿の備付け

ということになっていますので、今後はこれを踏まえて
「製造の方法等についての基準及び成分についての規格」
「有害な物質」
についてのガイドラインが作られるはずです。
この法律の主務局は、動物愛護を担当している環境省自然環境局ですので、ここと農水省とで進められるものと思われます。

環境省HP(主務:環境省自然環境局)


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3.ジャパニーズ・ボブテイル

江戸後期に流行った短尾(ボブテイル)

ジャパニーズ・ボブテイルに必須である短尾(カギ尻尾)は、江戸時代後期に発展した浮世絵の中で盛んに描かれ始めます。
平岩米吉氏の調査によると、最初に短尾の猫を浮世絵に描いたのは喜多川歌麿で1782年以降の作品に見られます。更に歌川国芳においては美人画などに猫を積極的に描いたほか、歌舞伎風に猫を擬人化した猫物語「朧月猫乃草子(おぼろづきねこのそうし)」を山東京山とともに残すなど、無類の猫好きでした。
弟子にはまず猫の写生をさせ、飼い猫が亡くなると両国の回向院(えこういん)で供養し、家には猫の位牌や過去帳を揃えるほど。
朧月猫乃草子は1842〜1849年の8年間をかけて猫の習性や待遇を書き綴った七編十四巻の大作。その七編上巻に「猫のしっぽも長いは、はやらず」とあり、当時の短尾の流行がうかがえます。

短尾が流行した理由は二面性があり、ひとつは、猫が年をとると尾が二股に分かれ化けるという伝説があったため(猫股伝説)、短尾が珍重される背景があったこと。この風習は昭和初期まで続き、尾を切り取られた猫も多かったそう。
もう一点は、短尾は尾骨が湾曲した突然変異にもかかわらず優性遺伝のため繁殖が可能であったこと。流行すれば一気に広まるのも頷けます。

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2.新説「日本猫=コビー+αフォーリン」

宮廷と唐猫 - 文献・絵画に残る唐猫の姿

さて、「招き猫発祥の地『豪徳寺』」の記事で触れましたが、日本の文献に初めて猫が記されたのは、平安時代822年頃作の仏教説話集「日本霊異記」に化け猫として登場します。そして家猫として飼われた国内最古の記録としては、宇多天皇の889年2月6日の日記に、太宰府から贈られた黒い唐猫を5年に渡って大切に育てたことが書かれています。以後、花山天皇(在位985〜986年)の御製(ぎょせい:天皇自ら作成した文章)、996年頃の「枕草子」、1001年の「源氏物語」、1058〜1064年の「更級日記」に家猫として「珍しい唐猫」が描かれており、当時いた猫と恐らく区別して「唐猫」と記述されている節があります。

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